「武士道」緒言

「武士道」緒言

 

新渡戸稲造「武士道」緒言(3~24頁)    

  訳者序(矢内原忠雄)、第1版序(新渡戸稲造)、増訂第十版序(新渡戸稲造)、

  緒言(ウイリアム・エリオット・グリッフィス)

 

・武士道は、一部の特権階級のものか?日本の道徳は、古くからの八百万の神儒教から成り立っていると思う。

・英語で書かれ、西洋の方に向けて出版された、という視点が興味深い。

・立ち居振る舞いから、日本のしつけが始まり、道徳になってきていると思う。

・樋野先生が、新渡戸稲造「武士道」を推薦している理由が理解できるように学んでいきたい。

・グリフィスは緒言の結辞で、新渡戸が第一版序の終わりで暗示した各国民それぞれの「旧約」を持つ、との新渡戸のキリスト教観に触れ、「これは完成するために来たりたまいしキリストの教えである、日本のキリスト教会は大気のごとく国風と化するであろう」と結論している。100年たった今、キリスト教はどれだけ「異国品たること止めて武士道の土壌に根を張って」いるだろうか。 

・「グリッフィスは武士道を作法の掟として捉え、この日本文化を非常に高く評価した。新渡戸は、武士道によって養われた生きた精神的感覚をキリスト教の中に融合した。新渡戸のように、日本は自国の歴史・文明における最善のものを失うことなく、世界の提供する最善のものを取り入れて同化していくだろう。キリスト教は、諸民族に与えられた教義を完成するための教え」と考えていると理解しました。

・武士道が作法の掟と捉えると、人間関係の作法とも言えて、現代にも十分通じるものがあると思いました。また、諸民族に与えられた教義を完成するのがキリスト教との考えにどの民族の教義にも共通するつながりを認めていて、共感しました。でも一方では、西洋にあるキリスト教優位と考えの感も受けました。